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東京高等裁判所 昭和60年(う)817号 判決 1987年5月19日

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中七〇〇日を原判決の刑に算入する。

理由

控訴趣意第一(殺人の事実に関する事実誤認の主張)について

所論は、要するに、殺害されたとされる被害者長尾次(以下「長尾」という。)は、その犯行日とされる日以後に生存していたことが多数のものによつて確認されているうえ、被告人の有罪を立証する証拠は事実上被告人の捜査官に対する自白調書以外にはないが、右自白調書は信用性のないものであり、更に、被告人にはアリバイもあるので、原判決の認定判示するように被告人が長尾を殺害したとの証明はなく、右殺人について被告人を有罪とした原判決は事実を誤認したものである、というのである。

そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果を加えて、所論の当否を検討すると、原判決は、「罪となる事実」第一において、被告人は、昭和五七年二月二四日午後七時四〇分ころ、自己の勤務する東京都豊島区東池袋一丁目七番二号東駒ビル二階古美術店「無盡蔵」店内において、同店経営者の長尾(当時五五歳)を殺害しようと決意し、同人の背後から鉄製ボルト(長さ約五〇センチメートル、太さ直径一・五ないし一・八センチメートル)でその後頭部を力一杯殴りつけ、倒れた同人の頭部めがけて数回にわたり右ボルトを激しく振り下ろして殴打し、よつて、そのころ同所で、頭蓋内骨折を伴う打撲傷に基づく頭蓋内損傷により同人を死亡させて殺害した旨を認定しているところ、関係証拠によれば、右事実は優に肯認することができる。原判決は、「事実認定についての説明」の項において、詳細な証拠説明を行い、長尾が二月下旬ころ「無盡蔵」店内で相当量の出血を伴う攻撃を受け、それが原因でそのころ死亡したこと、右犯行が被告人において単独で又は他の者と共謀してなしたことは、被告人の捜査段階における自白以外の証拠によつても認められ、更に、被告人の右自白は基本的にはその信用性を肯定することができ、これにより、被告人が単独で長尾を原判示の方法で殺害したことが証明されるとともに、右自白及び他の証拠を総合すると、犯行日は二月二四日と特定できるとしており、その説示も正当として是認できる。以下、所論にかんがみ、更に説明を付加することにする。(なお、以下において、「昭和五七年」については月日のみを記載し、年の記載を省略することがある。)

一「犯行日」以後における被害者の生存事実に関する供述について

所論は、原判決が犯行日と認定する二月二四日より後に長尾と会つたり、話をしたりしたとする原審証人が多数存在し、それらの供述は信用性が高く、到底排斥できないものであるから、被告人が原判示のような犯行を行つたことはありえない旨主張するので、長尾を見聞したとする時期の新しいものから順次考察する。

1  原審証人片岡一郎の供述

右片岡は、「六月二二日、静岡県伊東市の旅館『米若荘』で開かれた骨董市『親睦会』の席上で、長尾に会い、声をかけた。」旨供述する。

しかし、長尾は、数箇月も前の二月下旬ころから行方不明となり、それ以降、営業の本拠である「無盡蔵」の店舗に姿を見せないのみか、その居宅に帰つた形跡すらなく、ただ一人の使用人である被告人に対しても、同業者、得意先、親しい知人らに対しても何の連絡もしていなかつたのに、「親睦会」のような骨董市に突然姿を現すなどということは、極めて不合理、不自然であつて、そもそも信じ難い話であるといわざるをえない。しかも、片岡は、隣に座つていた古美術商仲間の田中光一郎から「長尾が来ている。」と耳打ちされ、後ろを振り向いてみると長尾がいたので、声をかけた旨供述するが、田中は、原審証人として、そのような事実はなかつた旨を明確に供述しているうえ、田中及び「親睦会」の会主の一人で、当日競り上げ係をしていた原審証人長尾芳雄は、いずれもその席で長尾を見かけたことはない旨を供述している。そして、「親睦会」は、同旅館の畳敷きの一部屋に約二五名程度の者が集まつて開かれていたものであり、目立つ風貌をし、特異な服装をしていた長尾は、出席していれば見過ごされにくいものであること、長尾が行方不明になつていることは当時古美術商仲間の間ではかなり広く知られており、約二五名もの古美術商が集まつていたのであるから、長尾が姿を見せていれば片岡以外にもこれに気付いて話題にする者がいるはずであるのに(原審証人池田哲郎の供述参照)、そうした形跡は皆無であること、その他原判決が片岡の証言についての問題点として指摘する諸点に照らせば、片岡には記憶の混同があると認められ、片岡の証言は到底措信することのできないものである。所論は、「親睦会」に片岡に連れられて出席していた高橋章も、片岡が長尾を見かけたというのは事実であると述べていると主張し、片岡の証言中にこれにそう部分があるが、高橋がどのような記憶の根拠に基づいてそのように述べているのか不明であつて、それが片岡の証言を支えるほどのものであるとは思われない。

2  原審証人佐藤純の供述

右佐藤は、「五月二七日午前八時三〇分ころから同四五分ころの間、東京信用金庫本店で開かれた狩猟講習会へ行く途中、『無盡蔵』のシャッターが開いていたので、店内に上がつてみると、長尾が座つていた。」旨供述している。

しかし、長尾は、その約三箇月前から行方不明となり、前記のような状態にあつたのであるから、佐藤の右証言のように、突然「無盡蔵」店内に姿を見せたとすると、何かそれだけの理由があつたはずであるが、その理由となるような事情は何ら発見できず、しかも、その後再び姿を隠し、店にも同業者、得意先、知人らにも全く連絡をせずにいるのは甚だ奇妙であり、佐藤の証言にはその基本において無理があるといわなければならない。そして、原判決が詳細に指摘する佐藤の証言の問題点にも徴すると、同証言は到底措信することができない。

所論は、原判決の挙げる問題点について反論するところ、個々の点については所論のような見方を入れる余地が全くないとはいえないが、問題点は数多くあつて、そのことは佐藤の証言が全体として疑問のあることを示すものであり、所論を考慮に容れても、佐藤の証言についての疑問は解消されるには至らない。なお、所論中には、佐藤が「以前『無盡蔵』に入つたとき、エジプトのふんころがしという虫を加工したものを見ており、そのときもそれを見たいと思つていたが、その品物は既になかつた。」旨供述している点をとらえて、右エジプトの商品があつたことは長尾のエジプト旅行に符合し、佐藤の証言の真実性を裏付けているとの主張があるが、佐藤の証言によれば、同人がその前に「無盡蔵」を訪れたのは昭和五六年の秋ころであつたというのであるから、同人の見た商品が同年一二月から翌五七年一月にかけての長尾のエジプト旅行に関係があるとはいえず、所論はその前提において失当である。

3  原審証人久野勇の供述

右久野は、「二月ころ長尾がいなくなつたという噂を聞いてから一週間から一〇日くらい後に、東京都千代田区神保町所在の東京古民具骨董館二階のピンク電話に、長尾と思われる声で二回電話がかかつてきた。」旨供述する。

しかし、長尾が生存し、右のような電話をかけられる状況にあつたとするならば、「無盡蔵」の店や同業者、得意先、知人らに何ら連絡をしないというのは全く理解することができず、右電話をかけてきた者が長尾であるとは基本的に考え難い。のみならず、その電話の相手は二回とも自分の名を言わず、二回目のときには久野の方から「長尾さんでしよう。」と尋ねたのに、これにも応答しなかつたうえ、一回目のときには用件について格別何も言わず、二回目のときには同業者のある者がそこに来ているかというような問い合わせをしたにすぎず、電話内容も、行方不明となつている者がかけるような切羽詰まつた、あるいはそれなりの意味のあるものではなかつたことが明らかである。その他、原判決が久野の証言の問題点として指摘する諸点も首肯できるものであり、これらを考え合わせると、久野の受けた電話の相手が、久野が推測するように長尾であつたとは到底考えられない。

4  原審証人加賀田千代子の供述

東京都豊島区南池袋一丁目二〇番一号横田ビル九階C号室の長尾宅の三月分家賃は、押収中の通帳式領収証(昭和六〇年押第二六七号の一九)によると、二月二七日に支払われていることが明らかであるところ、所論は、この家賃を同ビルの管理人である右加賀田に届けたのは長尾であると主張する。確かに、加賀田は原審証人として、家賃は被告人が持参したと供述しながらも、同時に、一二月ころ新聞記者、原審弁護人らに対して右家賃は長尾本人から受け取つたと述べたり、捜査官に対しても同旨の供述をするなどしたことを認めている。

しかし、加賀田が原審公判において当時の記憶を喚起した事情について供述するところは、自然かつ具体的で説得力があり、二月二七日に家賃を届けに来たのが被告人であるとする同人の証言は、措信するに足りるものと考えられる。所論は、加賀田が家賃を受け取つたという同日午後三時ころは、大事な顧客の小松茂美が「無盡蔵」に来店していたときであつて、被告人が小松を放つて家賃を持参することはありえないと主張する。しかし、加賀田の証言によれば、同人が家賃を受領したのは午後三時ころから同三時三〇分ころまでの間と認められるところ、小松の原審証言によれば、同人が「無盡蔵」に行つたのは午後二時ころで、同店にいたのは二〇分かもつと短い時間であつたというのであり、横田ビルは「無盡蔵」から数百メートルしか離れていない(司法警察員作成の一〇月二七日付検証調書)ことなどからすると、小松の来店は、被告人が家賃を持参する妨げになつていないことが明らかである。それだけでなく、小松は、前日の二六日の夜から長尾の所在を捜し、二七日の午前中も同人宅や「無盡蔵」に電話をかけるなどしたが、同人と連絡がつかなかつたため、午後二時ころ同店に行つていたのであり、そのように当時所在がつかめず、かつ加賀田が同日「無盡蔵」に電話して家賃の督促をしたことも知らないはずの長尾が、小松の来店後間もなく加賀田のもとに家賃を持参するなどということは、到底信じ難いことである。

5  原審証人小松茂美の供述

右小松(以下「小松」という。)は、「二月二六日午前中、『無盡蔵』に電話し、電話に出た長尾に『今日夕方行きたい。』と言うと、長尾が『どうぞ。』と言うので、午後五時三〇分ころ妻小松丸(以下「丸」という。)とその友人友永マリを案内して『無盡蔵』に行つたが、同店は既に閉店していた。」旨供述する。

しかし、小松は、長尾の重要な得意先であるとともに、極めて懇意な友人であり、長尾がそのような小松との約束を何も連絡せずに反古にしたり、午前中の約束を夕方には忘れてしまうなどということは、そもそも考えにくいことである。そのうえ、原審証人友永マリは、「無盡蔵」の前まで行つて同店が閉店していることがわかつたとき、小松は「四、五日前に連絡しておいたんですけどね。改めて連絡をしなかつたからかなあ。」と言つていた旨を明確に供述しており、また、小松が「無盡蔵」に丸や友永を連れて行くことは何日か前に決まつていたのに、その当日になつて長尾に連絡して約束を取り付けるというのは、いかにも不自然であり、その他原判決が指摘する小松及び丸の各証言の疑問点にもかんがみると、小松の前記証言の信用性には疑問があるというほかはない。

所論中には、二月二二日及び二三日は風邪のため勤務先を欠勤しているから、そのころ長尾に対して二六日行くことを連絡しているはずがない旨の小松の証言について、原判決は同人が風邪をひいたという事実まで疑問としているとして非難しているところがある。なるほど、小松の証言、原審第九回公判調書中同人の証人尋問調書添付の日記写し及び当審で取り調べた同人の出勤簿写しによれば、同人が二月二二日及び二三日には人と会う予定があつたにもかかわらず、二日続けて勤務先を欠勤していることが明らかであつて、その理由が風邪をひき自宅で休んでいたためであるとの供述も措信してよいものと考えられ、その限りで、原判決の右摘示は相当でないというべきであるが、同人は欠勤する以前にも、また風邪程度であれば欠勤中にも、更にその後出勤するようになつてからでも長尾に電話することが可能であつたと考えられるから、右風邪ひきの事実をもつて、長尾へ電話をかけたのが二月二六日であることの根拠とすることはできない。

6  原審証人堅山壽子の供述

右堅山は、「二月二五日午後六時過ぎころ小山田佳穂と連れ立つて『無盡蔵』に行くと、長尾と被告人とが店内におり、店内を見て回つた後、長尾と話をし、小山田が買掛金三五万円を支払い、四〇分位いて帰つた。」旨供述する。

しかし、堅山の証言については、原判決の指摘するとおり、同人のこの点に関する供述には変転があり、それにもかかわらず、その証言は余りにも事細かでかつ断定的に過ぎて、真実性の薄いものといわざるをえない。のみならず、小山田は原審証人として、二月二五日「無盡蔵」に行つた際長尾がいたかどうか判らないとしながらも、右三五万円を支払つたことについて、のちに長尾のアメリカ旅行を知つて、もつと早く支払つてやればよかつたと思つたことがあり、二月二五日には長尾はいなかつた可能性の方が強い旨供述しており、この小山田の証言に照らしても、堅山の証言は直ちには措信し難いというほかはない。所論は、堅山が捜査官に対して、二月二五日『無盡蔵』に長尾がいたかどうかわからないと供述したのは、池袋警察署の警察官から脅されたからであると主張するが、堅山は小山田に対しても捜査官に対すると同様のことを述べていたことが認められるので、所論のいうところはあたらない。その他、所論は、堅山の証言が根拠のある具体的なもので、信用性があるとし、小山田の証言には信用性がないとしているが、これらの点についての原判決の判断に誤りとすべきところはない。

以上のとおりであつて、所論の指摘する、本件犯行の日より後に長尾を見聞したとする原審各証人の供述は、いずれも措信するに足るものではなく、右の日以後に同人の存在を確認したと認められる者はいないというほかはなく、この点についての原判決の判断に誤りはない。

二被告人の自白の信用性について

被告人は、捜査段階において、本件犯行及びその前後の状況について詳細な自白をしているところ、原判決は、その自白に至つた経緯、その後の自白の継続状況、自白の内容(自由に基づく裏付事実の発見、客観的事実との合致、その具体性)等を子細に検討したうえ、被告人の自由は基本的には信用性が高いものであるとしたのに対し、所論は、被告人の自白には信用性がないとしているので、所論のあげる問題点につて順次考察する。

1  犯行の動機

被告人の捜査段階における自白によれば、被告人は、犯行直前、長尾に同行してアジア会館に行くためコートを取ろうとしていたとき、同人が背後から被告人の体に触わりながら、「今晩どうだ。仕事が終わつてから付き合えよ。」などと男色関係を求めてきたが、これを拒否すると、長尾から「何のためにお前に高い金を払つていると思うんだ。」と強い調子で文句を言われたため、当時種々の不安不満があり、その原因がすべて長尾にあると思つていたこともあつて憤激し、夢中で本件犯行に及んだというのである。この犯行の動機に関する自白について、原判決は、その信用性を支える事情もあるが、これを疑問とする事情も少なくなく、結局右自白を虚偽と断定することも、その信用性を肯定することもできないとし、仮に右自白が虚偽であるとしても、被告人に虚偽を述べる合理的な理由が認められるので、そのことによつて犯行全体に関する自白の信用性まで揺らぐことにはならないとしている。

これに対し、所論は、被告人には長尾を殺害する動機がなく、被告人の動機に関する自白は、その自白以前から、長尾が男色愛好家で、被告人との間に男色関係があつたことを知つていた捜査官から、「レリーフが欲しくて殺せば、強盗殺人で死刑もある。しかし、感情のもつれとか、かつとしてやつたとしたならば軽くなる。」などと強く示唆されてした虚偽の自白であり、それは被告人の犯行全体に関する自白の信用性をも否定するものである旨主張する。

被告人が右自白のとおり本件犯行に及んだとすれば、他人に発見されるおそれの強い「無盡蔵」の店内で、有り合わせの凶器を使い、犯跡を残すような方法で敢行されたことなどからみて、犯行は偶発的衝動的に行われたものとうかがわれ、その直前に被告人を激情に駆り立てた出来事があつたと思われるが、自白以外にそれを認定するに足る客観的な証拠はない。しかし、関係証拠によれば、被告人は当時、長尾から給料以外の金員を貰えなくなり、そのような収入のあることを予定して組み立てていた生活が崩壊に瀕するとともに、同人から「無盡蔵」を継承させて貰うことにも不安が生じていたと認められるから、そうした状況下において長尾との間に何らかの紛争が起きれば、これが契機となつて被告人を憤激させ、即行的に本件のような犯行に赴かせることもありうるものと考えられる。被告人が少なくとも以前に長尾と男色関係にあつたことは、被告人が自ら認めるところであるうえ、被告人が昭和五六年一二月ころまで長尾から給料以外に月々数十万円を支給されていたことからすると、同人との男色関係が程度等に差こそあれそのころまで続いていた可能性も否定できず、たとえ被告人が供述するように、その男色関係が被告人の拒否により二、三年前から絶たれていたとしても、本件に際し長尾が被告人の窮状に付け込んで被告人に対して関係を求めてきたこともありえないこととはいえず、本件犯行に及び直接のきつかけが、被告人の自白にあるような男色関係のもつれであつたとも考えられないではない。そして、右自白が当初から一貫したものであることなどにも徴すると、そのように認定することも不合理ということはできず、もとより右自白が虚偽であると断定するに足る資料はない。もつとも、この点については、原判決が指摘するように、金銭や店の継承に関する紛争のもつれなどに起因するものとみる余地もないではなく、男色関係のもつれとするには若干の疑問が残ることから、原判決のように動機の点の認定を保留するのも慎重な事実認定として支持することができ、仮に右自白が虚偽であるとしても、想定できる長尾との紛争は右のような財産的な出来事であつて、より重い罪の成立ないしは犯情面での不利益を来すものであるからありえないではなく、被告人がこれを秘匿することも、被告人がこの点について虚偽を述べていたからといつて、それがため自白全体の信用性が損なわれることになるものではない。したがつて、被告人の動機に関する自白は、いずれにしても自白全体の信用性に影響を及ぼすものとはいえない。

なお、被告人は、原審及び当審各公判において、右自白は捜査官の誘導によるものである旨所論にそう供述をしているが、当日長尾と被告人は二人揃つて外出することになつていたのであるから、その外出直前に長尾が被告人に対して前記のような淫らな言動に及んだなどということは、被告人が進んで述べなければ捜査官に知られることではなく、しかも、これが捜査段階で終始維持されていることなどに照らすと、被告人の各公判供述は措信できず、被告人の動機に関する自白は、それが真実を述べたものであるか否かはともかく、捜査官の誘導に基づくものとは認められない。

所論はまた、被告人の経済状態についても種々述べているが、これについては後記のとおりであつて、被告人が二月二四日以前においては金銭的に窮迫していたにもかかわらず、同月二五日以降急に多額の支出をするようになつていることが明らかである。

2  死体の処理

被告人は、捜査段階において、長尾の死体は、殺害直後キリムのじゆうたんやうこんの布で梱包したうえ、殺害当日の二月二四日は「無盡蔵」店内の和室に入れて置き、翌二五日閉店後同店の普通貸物自動車ハイエースに積んで運び出し、同夜は東京都豊島区東池袋四丁目七番二号所在の東京燃料林産株式会社経営の駐車場(以下「出光駐車場」という。)に同車を駐車させ、同月二六日閉店後同車を出光駐車場から出し、同夜は当時居住していた赤羽のマンションの駐車場に入れ、同月二七日からは再び出光駐車場に駐車させていたが、三月六日夜死体を捨てるつもりで同車を乗り出し、翌七日午前一時ころ川崎市川崎区水江町五―三水江町公共物揚場(以下「物揚場」という。)に同車を乗り入れ、物揚場の岸壁から梱包した死体を京浜運河の海中に投棄した旨供述している。

(一)  所論は、原審証人古野潤治の供述及び同人作成の鑑定書によれば、本件のような梱包された死体は、海中に投げ込まれた直後浮かび上がつて、一、二分程度水面上に浮いており、その後約一ないし六時間は水面下一メートルの辺りに落ち着き、漂流するとされているところ、被告人の自白によれば、被告人は、梱包した死体を投棄してすぐに、再び投棄場所に見に戻つているのであるから、右梱包が水面上か水面下一メートル位のところに浮かび上がつているのを見ているはずであるのに、そのような供述をしておらず、また、物揚場付近は釣り場であつて、三月六日、七日は土曜日、日曜日にあたり、多数の釣り客が出ていたし、日頃京浜運河には多数の船舶が航行しているから、被告人が黄色の目立つ梱包死体を投棄したとすれば、直ちに発見されるはずであるのに、そのような報告もなく、捜査官らが徹底的な捜索をしたにもかかわらず、長尾の死体が発見されていないことなどからすると、被告人の死体投棄に関する自白は信用性がない旨主張する。

なるほど、関係証拠によれば、捜査官らは、一二月一二日には潜水、すばり、クレーン車使用の方法により、同月二一日ないし三〇日には潜水、すばりの方法により昭和五八年二月一九日及び二〇日には潜水、底引網使用の方法により物揚場付近の京浜運河一帯及びその沖合の東京湾を捜索したが、結局長尾の死体を発見することができず、今日まで死体が発見されるに至つていないことが明らかである。

しかし、古野の証言によれば、梱包死体は投げ込まれた直後浮かび上がるが、水面上まで行くか水面下に止まるかはわからないというのであり、被告人は死体投棄後すぐに、死体を積んできたハイエースを岸壁から物揚場の外へ約五〇メートル走行させ、そこで下車して投棄場所まで戻つて水面上を見たとはいうものの、見た時間は極めて短いものであつたうえ、死体の投棄は深夜とされ、かつ、海底に堆積したへどろが落下した死体によつて舞い上がつたことも推測するに難くない(司法警察員作成の昭和五八年一月二〇日付、昭和五七年一二月二五日付各捜査報告書)から、死体が浮き上がつてきても、それが水面下にとどまつて、岸壁上から見ることができないということも十分ありうることと思われる(原審証人寺尾正大は、夜間同岸壁に行つたときには水面下の状態は分からなかつた旨供述している。)。したがつて、被告人が岸壁に引き返した際長尾の梱包死体が目に入らなかつたとしても、不自然ということはできない。

また、司法警察員作成の昭和五八年二月二三日付捜査報告書によれば、昭和三九年八月から昭和五八年二月までの間東京湾内を漂流した死体を調査したところ、一三例が判明したが、いまだ死体を発見するに至つていないものが一例あるほか、川崎市川崎区千鳥町の岸壁から投身自殺した死体が扇島東側で発見され、同区東扇島南側の提防上から転落死亡した死体が横浜市金沢区柴町の東方海上で発見されるなど、その多くのものがかなり遠くまで移動していることが認められ、これらの例や原判決が指摘する京浜運河の状況からすると、長尾の死体が京浜運河から東京湾に流れ出し、同湾内を漂流した末、人に発見されることなく投棄場所から遠く離れた海底に沈下し、捜査官らが捜索したころには既にその付近になかつたこともありうることと考えられる。

更に、当審証人鈴木寛次郎の供述によれば、日頃物揚場付近には釣り客、男女連れ、自動車の運転練習をする者らの出入りがあると認められるが、死体投棄の日時が三月七日の午前一時ころとされていることからすると、その日時に右のような者らが物揚場付近にいたとは容易に考えられず、死体がその後速やかに他に流失したとすれば、物揚場付近に来た釣り客らに発見されないで終るこも十分ありうることであつて、所論指摘の事情は被告人の自白の信用性を疑わせるものとはいえない。

(二)  所論はまた、物揚場の出入口には鎖が張つてあり、南京錠のロックをしないで帰ることはあつても、南京錠そのものは常に鎖に付けていたうえ、鎖の中央部分には夜行塗料を塗つた方向指示板がかけられていたのに、被告人の自白中には右の南京錠や方向指示板に触れた供述がないこと、物揚場の出入口付近には東亜石油株式会社の守衛所があつて、守衛が交替制で二四時間監視しているのに、被告人のハイエースについての記録が残されていないこと、被告人の自白によれば、被告人はハイエースを岸壁の車止めに寄せて止め、同車の最後部から海まで少なくとも五〇センチメートルはあるのに、重さ約九〇キログラムの梱包死体を一度に投げ込んだとされているが、そのようなことは不可能であり、これらは、いずれも被告人の自白が虚偽であることを示すものであるという。

なるほど、原審証人関根満の供述、土井一夫の司法警察員に対する供述調書、司法警察員作成の昭和五九年七月五日付実況見分調書等によれば、物揚場の間口約八・四五メートルの出入口は、夜間両側の鉄製支柱の間に鎖を張り渡して封鎖することになつており、封鎖に当たつては、東側支柱に固定された鎖を西側支柱まで引いてきて、同支柱のフックに鎖の輪をかけ、鎖の残りを同支柱に巻きつけたうえ、鎖の輪に南京錠をかけ、張り渡した鎖の上に、夜行塗料で矢印を表示した逆V字型の鉄製方向指示板を掛けておくことになつていたことが認められるところ、右の関根及び土井は、封鎖はかなりいい加減に行われ、鎖に付けた南京錠の吊金が閉められないまま施錠せずに帰つてしまうことも往々あつたとしながらも、南京錠を鎖に付けることもしないで帰つたことがあつたとまでは供述していない。しかし、封鎖のルーズさからすると、南京錠を鎖に付けることをせず、ましてや方向指示板などは掛けずにすませたこともあるのではないかと疑われないでもないが、それはともかく、南京錠が正規にかけられていた場合においてすら、鎖をフックから外せば鎖は地上にずり落ち、簡単に自動車が通行できる状態になつたと認められるから、被告人がフックから鎖をはずしたことのみを記憶し、鎖に南京錠が付いていたか、方向指示板が掛けられていたかというような細かな事実を記憶にとどめなかつたとしても、これを不審とすることはできない。

当審証人鈴木寛次郎の供述、司法警察員作成の右実況見分調書等によば、物揚場の東側には、これと隣接して東亜石油株式会社川崎製油所があり、同製油所の警備防災係の詰所が、物揚場出入口から約三〇メートル弱離れた、同出入口を見通せるところに設置され、係員が昼夜を問わず交替で勤務していたことが認められるが、右係員は専ら同製油所内の保安、火災防止等に注意を向け、同製油所に出入りする車両についてはともかく、物揚場に出入りする車両については何ら関心を払つていなかつたことが明らかであるから、三月七日未明に被告人の自動車が物揚場に現れた事実について右係員が何ら記録を残していなかつたとしても、それが右事実のなかつたことの証左であるということはできない。

また、ハイエースに積んでいた長尾の梱包死体を同車の最後尾から数十センチメートル離れた海中に投げ込むことも、死体をある程度車外にはみ出るように引きずり出しておけば(被告人の検察官に対する昭和五八年二月二六日供述調書第三図参照)、それほど困難なこととは思われず、同車に死体を運び上げた被告人としてその程度のことができなかつたとは考えられない。

(三)  所論は、被告人の自白によれば、被告人は、長尾を殺害後一日、客の出入りする「無盡蔵」店内の和室に死体を放置し、その後延べ九日間も、ハイエースのキーを預けてある出光駐車場等に死体を乗せた同車を駐車させていたことになるが、これは常識では考えられないことであること、死体の投棄場所も、当初の自白では荒川としていたが、捜査官の調べで不可能と判明したため、被告人が知つていた京浜運河に思い付きで変更したものであること、被告人の自白によれば、昭和五八年七月台風が来たりして死体の浮上が心配になり、物揚場に行つてみたとされているが、それまでに関東地方に影響を及ぼすような台風は来ていないことなど、被告人の自白には信用性を疑わせる事実があるという。

しかし、被告人の自白によれば、本件犯行は、計画的なものではなく、衝動的に行つたものであり、被告人は、死体を梱包後その処置に困り、とりあえず「無盡蔵」店内の書庫兼物置に使つていた和室に運び入れ、翌日閉店後ハイエースに積み込み、その後前記のように駐車場に同車を駐車させるなどし、京浜運河に投棄することに決めるまで、適当な死体処理の方法を思い付かないまま一日延ばしにしていたというのであつて、これは犯人の心理状態として十分理解することができる。堅山壽子は、原審及び当審各証人として、右和室にも商品が置かれていたので、同店に行つたときにはいつも右和室に入つていた旨を供述しているが、同人の供述は、全体として事実を誇張して述べていることが明らかに看取できるものであつて、そのままこれを信ずることはできず、関係証拠によると、右和室は、商品が陳列されておらず、普通の客の立ち入らない場所であると認められるから、完全に梱包された長尾の死体を保管する場所として不適当であつたとはいえない。また、出光駐車場等に死体を積んだハイエースを駐車させていたことも、同駐車場にキーを預けてあつたからといつて、特段の事情もないのに、係員がそのキーを使つて車内に入るようなことはなかつたと認められるし、梱包死体には毛布をかぶせるなどして外見上疑念を抱かれることがないように擬装を施してもいたというのであるから、必ずしも不自然なこととは思われない。

死体投棄場所についての被告の自白に変転のあるのは、所論指摘のとおりであるが、被告人がその場所を荒川と述べていたのは、一二月八日及び九日の僅か二日間にすぎず、しかも、九日のうちに京浜運河と供述を変え(原審証人寺尾正大の供述によれば、右供述の変更が捜査官らの示唆によるものとはうかがわれない。)、その後死体が発見されるに至らなかつたにもかかわらず、これを維持し続けており、変更後の供述は信用性の高いものということができる。

被告人が七月末ころの早朝、突然用事もないのに、半年余り出入りしていなかつた物揚場近くの実父笹川正與輝方に自動車で立ち寄つたことは、同人の検察官に対する供述調書に照らして動かし難い事実であり、この事実は、そのころ長尾の死体が心配になつて物揚場に行つたとする被告人の自白を裏付けるものということができる。確かに、その年それまでに京浜地区に台風が来襲したとの証拠は見当たらないが、七月末ころまでにわが国に影響を及ぼす台風が発生していることは例年のことであつて、その年も同様であつたと推測されるから、被告人が台風の影響を心配したのが不合理であるともいえない。

(四)  その他、判断を加えるのを相当とするほどの主張はなく、死体の処理に関する被告人の自白中にその信用性を揺るがすようなものは、見当たらない。むしろ、二月二四日から二六日までの各夜、ハイエースが出光駐車場を出ていた事実は、同駐車場の記録と一致すること、被告人は、三月下旬ころから五月下旬ころにかけてハイエース内で、悪臭を発する漬物作りをしていることが明らかであるところ、それ以前は漬物作りは室内でしていて、同車内でこれをするのは初めてあり、しかも、それまでに用いたことがなく、効果も定かでないのに、生鰺を入れてことさら悪臭を出す方法を用い、その結果悪臭が同車に滲み込んで取れず、同車をほとんど使用できないようにしたことが認められるが、これは、同車内の死臭を消すためそのようなことをしたとの自白を裏付けるばかりでなく、それ以外に合理的に説明することができないこと、被告人は、前記のとおり、死体の投棄場所を京浜運河に変える供述をするようになつてからは、これを維持し続けていることなど、被告人の自白を支える事情が認められ、右自白は信用性が高いものということができ、死体が発見されないなど、死体の処理についての被告人の自白に裏付けのないところがあるが、これが被告人の自白全体の信用性を損なうことになるとは考えられない。

3  供述の変遷

所論は、被告人の捜査段階における自白には重要部分に数多くの変遷が認められ、右自白が信用性のないものであることは明らかであるとし、長尾の帽子が落ちた時期は、被告人が殴り終わつてからか、殴つている間か、長尾を殺害後死体梱包までの間に、店の前に駐車させていたハイエースに乗り込み、更に店の階下にある喫茶店「タイム」に入つたか否か、死体の梱包に使つたビニールロープとうこんの布が入つていた場所は、出入口左側にある原判決添付別紙図面(以下「図面」又は「原判決添付図面」という。)④の戸棚(図面③のショーケースの下にあるもの)か、出入口右側にある和だんすか、死体の梱包にあたつて、どのように死体を動かしたか、じゆうたん、ショーケス等の血をどのように始末したか、死体の頭をビニール袋で包んだ際、ビニールロープで縛つたのは一巻きか二巻きか、死体の手を後ろ手に縛つた際、手の平を合わせるようにしたか、手の甲を合せるようにしたか、死体をキリムで包む際、キリムをどのようにして死体の下に入れたか、殺害現場の床上に敷いてあつて、血痕が付着したキリムを捨てたかどうかなどの諸点を指摘し、これらは、いずれも捜査官らが捜査の進展に合わせるため被告人に指示するなどして作り上げたものである旨主張する。

なるほど、所論指摘の箇所に多かれ少なかれ供述の変遷のあることが認められる。

しかし、右供述の変遷は、いずれもさほど重要とは思われない細かな点に関するものであるばかりでなく、犯行後九箇月ないし一年を経過した時期において、一挙にすべての事実を正確に供述するのはもともと困難なことであつて、取調べ、検証における指示説明等の過程で、自らあるいは捜査官の反問、関連事実の指摘等からあらたに記憶を喚起し、記憶の誤りに気付くことなどがありうることは、当然のことというべきである。しかも、被告人の捜査官に対する主要な供述調書は、極めて具体的かつ詳細であるうえ、被告人の作成にかかる個性的な図面が添付されており、押収中の録音テープ二巻(前同押号の四四)及びビデオテープ一巻(前同押号の四三)からうかがわれる被告人の供述状況等をも考え合わせると、被告人が捜査官に対し積極的に供述したことが推認できる。当審証人宮下正彦は、長尾の帽子が脱げた時期、喫茶店「タイム」への出入り、うこんの布等の保管場所、梱包の際の死体の移動、死体の手の縛り方、キリムによる死体の梱包方法、ショーケースの血痕に関連してのアクリル板の存在等について、被告人が自白内容を変更した経過を詳細に供述しており、この供述に徴しても、被告人の供述の変遷が捜査官による不当な押し付けや誘導等によるものではないことが明らかである。

したがつて、被告人の供述に変遷があるからといつて、それが自白全体の信用性を揺るがすことになるとはいえない。

4  ビーズ製カーテンの存在

所論は、殺害場所とされている通路には、二月下旬当時天井から通路一杯にビーズ製カーテンが吊り下げられており、被告人の自白のように、被告人が鉄製ボルトを振り上げて長尾を殴打することは不可能であつたと主張する。

被告人は、当審公判において、二月下旬当時図面⑥の書庫と同⑦の被告人の机との間に幅約一・二メートル、丈約一・五メートルのビーズ製カーテンが掛けられていた旨供述しており、そうだとすれば、書庫の奥行が約四九センチメートルであるから(司法警察員作成の昭和五八年一月二九日付実況見分調書)、同カーテンは少なくとも七〇センチメートル位通路側に出張つていたことになるところ、当審証人堅山壽子は、二月下旬当時図面⑦の机の脇の通路一杯に丈約一・一メートルのビーズ製カーテンが掛かつていた旨、被告人の供述にそう供述している。

確かに、二月下旬当時「無盡蔵」店内に長尾が買い入れたビーズ製カーテンがあつたこと、同店内の所論指摘の箇所にビーズ製カーテンが掛けられていたことがあり、四月ころもそこに掛かつていたことなどは、当審証人斉藤美智子及び同鈴木政孝の各供述によつて認められる。しかし、それが本件犯行当時の二月下旬ころにも掛かつていたとする確たる証拠はなく、かえつて当審証人根本麗子は、三月一〇日から同月三一日まで「無盡蔵」でアルバイトの店員をしていた際、そのようなビーズ製カーテンが図面⑦の机付近に掛けられているのを見かけたことはないと供述し、この供述は、同人がその根拠として、アルバイト中右机を使つていたので、もしもそのようなカーテンがあれば出入口が見えにくくなつて記憶に残るはずであるというのであつて、その供述の信用性は高いものと考えられる。これに加えて、被告人は、二月下旬当時右机を自席として使用しており、同席に着いたときの出入口の見通し状況を熟知していたうえ、右机の上で工具等を使つて作業をしていたのであるから、机のそばにビーズ製カーテンが掛かつていたときには、作業の支障になつたこともあると思われるのに、原審公判では終始長尾の殺害事実を否認しながら、同カーテンがあつたことについては全く触れていなかつたこと、堅山は、長尾からビーズ製カーテンを買い受けようとしたこともあつて、同カーテンについてはよく記憶していると述べているが、同カーテンは同人が使おうとしていた場所には入り切れない大きさのものであり、同人の記憶の根拠とするところが疑わしく、同人その他の供述にも誇張が目立つことなどからいつて、被告人及び堅山の当審公判における前記各供述は十分な信頼を寄せ難く、二月下旬当時ビーズ製カーテンが図面⑦の机付近に掛かつていたと認めることはできない。

5  自白の経緯

所論は、被告人は、ラグビー等の後遺症で尾底骨が曲がつているため、長時間椅子に座つているのが苦痛であり、一二月六、七日は下痢症状であつたうえ、連日朝から夜遅くまで取調べを受け、「お前が殺した。」「自白しなければ、横領した商品を一つ一つ送致して四、五年出られなくしてやる。」などと迫られたり、「自白すれば、接見禁止中だが、妻と合わせてやる。」「殺人でも三年からある。執行猶予もある。」などと誘われるなどし、その場の苦痛から逃れられさえすればどうなつてもよいという気持や、自白しても別に証拠がなければ起訴されないだろうという気持等から、虚偽の自白をするに至つたものであり、その後も、勾留質問の際否認したほか、何回か捜査官に対して否認していたのであつて、一貫して自白を維持していたのではない旨主張する。

しかし、関係証拠、特に原審証人寺尾正大及び当審証人宮下正彦の各供述によれば、被告人が取調べの過程で体調の不調を訴えたり、病気といえるような状態になつたりしたことはないと認められる。被告人は、原審及び当審公判で、ラグビーの後遺症のため長時間腰をかけているのが苦痛であり、また、取調べを受けていた際下痢症状となつたことがあると供述しているが、たとえそのような事実があつたとしても、それらが取調べに耐えられないようなものであつたとはうかがわれない。また、被告人の原審及び当審各公判における供述にもかかわらず、捜査官の側から殺人の事実を認めさせるため被告人に対して不当な圧迫、利益誘導等が加えられたとも認められない。

かえつて、被告人は、一二月四日長尾所有の金員についての横領の事実で逮捕され、引き続き同月六日から勾留され、同事実に併行して長尾殺害の事実についても取調べを受けるようになつたが、逮捕後五日目の同月八日夜には、突然泣き崩れたうえで殺人の事実を自白し、短時間のうちに図面付きの上申書を作成し、翌九日以降自白内容をより具体的かつ詳細にして行つたことが認められる。もつとも、被告人は、昭和五八年二月七日殺人及び死体遺棄の事実で逮捕され、同月九日検察官から同事実について弁解を聞かれた際、「今は答えるのを勘弁して頂きたいと思います。もう少し自分の頭を整理した上でないと、この事件をやつているかやつていないかについてはつきり申し上げかねるのです。」と述べ(検察官に対する同日付供述調書)、同日行われた裁判官の勾留質問に際し、「被害者を殺してはおりません。従つて、死体を運河に捨てたこともありません。警察で殺したと述べたのはすべて作り話を話したのです。」と述べ(同日付勾留質問調書)、また、殺人の事実について公訴の提起のあつた同月二八日の数日前に、検察官に対して一時否認したことがあるが、それ以外は、長尾の死体が発見されるに至つていないことを知りながら、捜査官らに対して殺人の事実を自白していたことが認められる。しかも、宮下及び寺尾の各証言によれば、被告人は、同月九日右のように検察官に対して供述を拒否したり、裁判官に対して否認の供述をするなどしたにもかかわらず、その日勾留場所の警視庁に帰ると、司法警察員らに対して「検察官や裁判官の前に出ると、自分が話そうと思つていたことも言えなくなります。」などと述べて、別段殺人の事実を否認せず、その後も同様であつて、司法警察員らに対しては、いつたん自白してからは終始これを覆したことがないと認められる(被告人は、原審及び当審各公判で、司法警察員らに対しても何回か否認したが採り上げて貰えなかつたと供述しているが、措信し難い。)。

そうしてみると、被告人の自白の経緯に格別問題とすべきところはなく、むしろ、その経緯は自白の信用性を支えるに足りるものであるということができる。

6  自白の内容

所論は、原判決は、被告人の自白について、犯行場所が「無盡蔵」店内であるとの供述がいわゆる「秘密の暴露」に準じるとしているが、長尾が同店内で殺害されたことはまだ立証されていないばかりか、犯行場所を同店内と想定するのは誰でもすることであり、ましてや捜査官は同店内でルミノール陽性反応を得ていたのであるから、「秘密の暴露」に準ずるものがあるなどとはいえない旨主張する。

しかし、原審証人小櫛富夫及び同寺尾正大の各供述、司法警察員作成の一一月一五日付実況見分調書等によれば、捜査官らは、一一月一三日「無盡蔵」店内において、ルミノール試験、ロイコマラカイトグリーン試験等を行い、同店内ピータイル上に敷き詰められた赤茶色縦縞模様のじゆうたんの図面表示の箇所に前者の陽性反応を得たが、後者が検査不能に終わり、右陽性反応も薬品などによるのではないかとみられたことなどのため、同店内で長尾が出血して死亡したなどとは疑わず、同店内の改装工事を放置し、右のじゆうたんやピータイルが張り替えられてしまい、一二月八日被告人が同店内で長尾を殺害したと自白したことから、急ぎその裏付捜査を行うに至つたと認められる。

そして、関係証拠、とりわけ司法警察員作成の一二月二九日付検証調書、昭和五八年一月一五日付、同月二九日付各実況見分調書、同月一七日付捜査報告書及び同月一九日付写真撮影報告書、川辺宏の検察官に対する供述調書、原審証人磯田正明の供述、高木賢治作成の一二月二五日付、昭和五八年一月二四日付及び同年二月一日付各鑑定書、久保田寛作成の同年一月一一日付及び同年二月七日付各鑑定書、小櫛富夫作成の同月二八日付鑑定書、利根川照夫作成の実験結果報告書等によれば、その後、本件犯行があつたとされる昭和五七年二月下旬当時同店内の図面①②③に置かれていたショーケース三個及び図面⑤に置かれていた机に多数の血痕が付着しているのが発見されるとともに、それらの多くから長尾と同じB型の人血反応が得られ、また、その当時図面中に破線で表示された部分に敷かれていたキリムから人血の付着が、同様同店内の床に張られていたピータイルの破片三枚からB型人血の付着がそれぞれ証明され、更に、図面①のショーケースに付着した飛沫血痕は被告人の自白した長尾の転倒位置付近から飛散したと推測されるなど、被告人の自白にそう事実が次々と判明したことが明らかである。

右の血痕付着の状況は、それ自体被告人の自白を裏付ける極めて有力な事情であることはもとよりであるが、それが被告人の自白以前にはいまだ捜査官に発覚しておらず、被告人の自白後に、その裏付けのためにした捜査によつて初めて明らかになつた事情であると認められ、しかも、それが被告人の自白する犯行地点や犯行状況ともほぼ合致する点において、極めて重要な意義を有するものといわなければならず、それをいわゆる「秘密の暴露」というかそれに準ずるものというかはともかく、少なくとも本件犯行状況に関する被告人の自白に十分な信用性を付与するものということができる。

7 以上のとおりであつて、被告人の捜査段階における自白の信用性について原判決が詳細に説示するところは、すべて肯認することができ、右自白の大綱についてはその信用性に疑問とすべきところはなく、右自白は全体として採証の用に供するに十分なものと認められる。

三血痕の存在について

所論は、「無盡蔵」店内の家具やピータイルに付着していた血痕様のものは、鑑定箇所二一箇所中一三箇所しかB型人血の証明がなく、家具については、「無盡蔵」で購入される以前の使用、保管等の状態が不明であり、ピータイルについても、その保存、管理等が杜撰であつたうえ、店内のどの位置のものかも不明であるなどの事情があるから、右血痕様のものは有罪認定の証拠としての価値が全くなく、また、原判決は、司法警察員作成の昭和五八年一月一五日付実況見分調書に基づき、血液の飛沫方向を推認しているが、これに利用された血痕様のものはすべて家具の一面にあつたものであるうえ、そのうち人血と確認されたものは一つにすぎないから、右のような推認は理解し難く、更に、「無盡蔵」店内に敷き詰められていたじゆうたんについては、血液付着の証明すらなく、その上に敷かれていたとされるキリムについては、鑑定の結果血液型が不明とされているうえ、鑑定の過程ではAB型の反応さえ出ているから、これらに付着した血痕様のものが長尾の出血から生じたとは解されず、右の諸点からすると、血痕に関する証拠は長尾に対する犯行の存在を認定する資料とはならないのに、原判決がこれを有罪認定の証拠としたのは誤りである旨主張する。

1 前記二の6に掲記した各証拠によれば、司法警察員がした一二月二三日の検証、昭和五八年一月二五日の実況見分等の際に、原判決添付図面①のショーケースについては、南側下部開戸に一〇箇所にわたり一箇所につき一個から数個の長さ約三センチメートルから半米粒大の血痕様のもの計数十個、東側下部板面に十数箇所にわたり半米粒大の血痕様のもの多数、東側上部木製枠に米粒大の血痕様のもの一個、図面②のショーケースについては、東側ガラス部分下部に米粒大の血痕様のもの二個、図面③のショーケースについては、西側上部木製枠に米粒大の血痕様のもの二個、西側下部台座に血痕様のもの五個、図面⑤の机については、底面木枠部及び底板部に四箇所にわたり一箇所につき一個ないし四個の米粒大ないし半米粒大の血痕様のもの少なくとも計九個、左側引出し下部に血痕様のもの二個がそれぞれ付着しているのが発見されたこと(なお、図面④のショーケースの内部床上にも血痕様のものが付着しているのが発見されているが、これは、外面には血痕様のものの付着が認められないショーケースの内部にあつたうえ、鑑定の結果人血ではないと判定されているので、他の血痕様のものと性質を異にすることが明らかであつて、この際は除外して考えられるべきものである。)、司法警察員が同月七日にした実況見分において、図面①のショーケースの南側下部開戸に付着した血痕様のもののうち一一個についてその飛沫方向を調べてみると、右ショーケースの南東角からやや東寄りの東南東方向に約八八センチメートル、高さ床上約二〇センチメートルの箇所に発することが判明したこと、右血痕様のものを鑑定に付したところ、鑑定対象とされた二〇個のうち、図面①のショーケースの南側下部開戸の四個、東側下部板面の二個及び東側上部木製枠の一個、図面③のショーケースの下部台座の二個、図面⑤の机の底面木枠部の二個及び左側引出し下部の二個の計一三個に、B型人血の反応が検出されたことなどが認められる。

所論のいう点についてみると、まず、B型人血の検出こそ前記のものに限られてはいるが、鑑定対象とされたものの残り七個、すなわち、図面①のショーケースの南側下部開戸の二個及び東側下部板面の一個、図面②のショーケースの東側ガラス部分下部の一個、図面③のショーケースの西側上部木製枠の二個及び西側下部台座の一個についても、それぞれB型の血液が検出されており、これらは水に溶けにくくなつていたため、人血反応が得られなかつた可能性が残つていて、人血の証明が得られなかつたとはいえ、直ちに人血ではないということができないものである。次に、血痕様のものの飛沫方向についての実況見分については、その対象となつたもののうちでB型人血が検出されたのは、番号5の箇所のものだけであるが、右開戸に付着した血痕様のものは、その付着状況からみて、同一機序のもとに付着したものと認められるから、対象となつたものはすべてB型人血であるとしてよく、また、右実況見分は図面①のショーケースの南側下部開戸という一面にあつたもののみを対象にしているが、これは他に適当な対象がなかつたためであるとうかがわれ、右実況見分の結果はそれなりに十分証拠価値のあるものということができる。更に、右の各ショーケースや机が「無盡蔵」に置かれるようになつた経路が不明であることは、所論のいうとおりであるが、それらが同店内に配置された場所、方向、血痕様のものが付着した箇所、個数、態様、B型人血の検出箇所等の諸状況からすると、血痕様のものは、例外がないとまでは断じ切れないにしても、そのほとんどが同店内で同一の機会に付着したものと推定することができる。

したがつて、ショーケース及び机に血痕様のものが付着していたことは、長尾が「無盡蔵」店内で攻撃を受け、相当量の出血をして死亡したことの有力な情況証拠であるということができる。

2  原審証人磯田正明の供述、司法警察員作成の昭和五八年三月三日付写真撮影報告書、小櫛富夫作成の同年二月二八日付鑑定書等によれば、二月下旬当時「無盡蔵」店内床面に張り詰められていたピータイルは、改装工事のため、一二月一日から八日までの間にはがされ、大部分が廃棄されたが、最後の清掃の際に残つていたその破片の一部がたまたま施工会社の倉庫に保管されていて、捜査官に任意提出され、鑑定に付されたところ、破片三枚の表側からB型人血が検出されたことが認められる。

確かに、所論が指摘するように、B型人血の検出された破片が店内のどの位置に張られていたものかは不明であるが、ピータイルは長年にわたりじゆうたんに覆われていたもので、その引きはがしは血液型A型の磯田がほとんど一人で行い、清掃段階で残されていた破片はごみといつしよにビニール袋に詰められ、そのまま右倉庫に保管されていたものであり、そのようなピータイルにB型人血が付着する確率の低さをも考え合わせると、ピータイルの破片からB型人血が検出された事実は、長尾が「無盡蔵」店内で前記のような被害を受けたことについての情況証拠となるということができる。

3  司法警察員作成の一一月一五日付実況見分調書によれば、同月一三日「無盡蔵」店内において、ルミノール試験等を行つたところ、ピータイル上に敷き詰められたじゆうたんの原判決添付図面にその旨表示された部分についてルミノール陽性反応があつたことが認められる。

確かに、右部分について人血とかB型血液が検出されたわけではないが、その部分にルミノール陽性反応があつたということは、右の1、2、後記4等の事実が認められる本件においては、これらと相関連する事実であつて、無意味、無価値ということはできず、この事実も前同様の情況証拠となりうるものと考えられる。

4  司法警察員作成の一二月一六日付捜査報告書、昭和五八年一月一三日付写真撮影捜査報告書及び同年三月二日付写真撮影報告書、川辺宏の検察官に対する供述調書、久保田寛作成の鑑定書二通等によれば、二月下旬当時「無盡蔵」店内の原判決添付図面中に破線で表示された部分に敷かれていたキリム一枚から、人血反応のあつたことが認められるところ、右人血について血液型を確定することができずに終わるとともに、その検査の過程で、AB型の反応が現れていることは、所論指摘のとおりである。

しかし、AB型反応は人血検査の陰性部分からも現れているため、キリム全体に付着した他の物質に基づくものと推測され、AB型反応は付着した人血によるものではないと認められる。そして、キリムが敷かれていた位置及びその近くから右の1ないし3のような事実が認められることをも考慮すると、キリムから検出できたのは人血反応のみであるが、この事実も前同様の情況証拠となるということができる。

なお、被告人の自白によれば、右キリムは、本件犯行の翌日の二月二五日被告人が長尾の出血を拭き取つた個所に敷いたとされているところ、被告人は、原審及び当審各公判において、右キリムは二月二四日より前から「無盡蔵」店内に敷いてあつたかのように供述している。しかし、被告人の右供述は一貫したものではなく、原審第二三回公判においては、「キリムは自分が店内に敷いたが、いつころかよく覚えていない。」「自分は二月二四日より前と思つたが、警察は後だと言つていた。」などとあいまいな供述もしていたこと、被告人は、原審第二五回公判において、「キリムは、クリーニングから戻つてきてから一週間以内に敷き、その前に敷いてあつたものは川辺に五万円か一〇万円で売つた。」などと供述しているが、川辺がそのような買い物をした形跡は認められないこと、中西正樹の検察官に対する供述調書によれば、キリムは一月二九日にクリーニングに出され、二月一二日クリーニングが済んで戻されてきたばかりであり、当時同店には使用されていない同種のキリムや小型のじゆうたんが数点あつたと認められるから、格別のことがないのにすぐに使用されるとは思われないことなどに、被告人の捜査段階における供述をも考え合わせると、被告人の右各公判供述は措信し難い。

5 以上のとおり、所論指摘の諸事実は、いずれもそれ自体被告人の自白を裏付けるものであるとともに、右自白を離れて本件犯行の存在を立証する情況証拠ともなるものと認められるから、原判決がこれらの事実を有罪認定の根拠としたことに誤りはない。

四被告人の経済状態について

所論は、(1)原判決は、二月下旬当時被告人が極度に金員に窮し焦燥感を募らせていたとするが、そのような事実はなく、(2)原判決は、二月二五日から三月六日までの収支を算定し、約五二万円の支出超過となるが、支出について控除すべきものがあるとともに、収入にも計上もれがあつて、そのような支出超過とはならず、(3)二月二五日及び二六日の支出について、不自然なところはなく、(4)三月七日以降の支出についても同様である旨主張する。

1  関係証拠によれば、被告人は、別居中の妻笹川秋代に対する一月分の仕送り三六万円の送金ができず、かえつて、同月二一日秋代から五〇万円を借り受けていたこと、同月下旬ころから二月にかけて同棲中の林恵美子から朝出掛けに二、三千円ずつ二、三回貰つていたこと、一、二月分のクレジット会社四社に対する割賦金の支払いを遅滞していたことなどが明らかである。

被告人は、原審及び当審各公判において、秋代からの借入れは仏像を買い入れるためのものであり、割賦金の支払いの遅延はそのころに限つたことではなく、被告人が二月下旬ころ経済的に困窮していたことはない旨供述している。しかし、右借入れの点については、秋代の検察官に対する供述調書に徴すると、それが仏像購入というような営業資金に使う趣旨で依頼したものとはうかがわれず、この点に関する被告人の供述は、当審における供述の方が原審のそれよりも具体的になつてはいるが、具体化した理由が必ずしも納得し難いばかりでなく、それでもなお仏像購入の詳細が明らかではなく、被告人の供述するところは直ちには措信し難いし、また、割賦金の点については、以前にも支払いの遅滞はあつたが、それは単発的で期間も短かつたのに、一、二月の場合には件数が多くかつ期間も長く、遅滞の程度が異なることが明らかである。被告人の右各公判供述は措信し難く、被告人は二月二四日以前においては経済的に追い詰められていたと認められる。

2  関係証拠によれば、被告人が二月二五日から三月六日までの間に自己及び「無盡蔵」の関係でした主な金銭の収支は、原判決が詳細に摘示するとおりであつて、収入は、二月分の給料三六万円及び受領日不明の売買代金三〇万円を加えてみても、合計一五七万円にすぎないのに、支出は合計二〇九万円余となつて、後者が五二万円余も前者を超過することが認められる。

所論は、長尾宅の三月分家賃は長尾自身が支払つたものであるというが、これが被告人によつて支払われていることは、既に述べたとおりである。所論は、店頭売りによる収入が相当あつたかのように主張し、被告人も当審公判で同旨の供述をしているが、店頭売りは、同供述によつても、品物や金額の分からない漠然としたものであるうえ、被告人は、捜査の当初から金銭の収支を繰り返し子細に聞かれているのに、店頭売りの売上げについて具体的に供述したことがなく、被告人の当審公判における右供述は直ちには措信し難い。また、被告人は、当審公判において、押収中の手帳(前同押号の一二)の三月一日欄の記載に基づき、同日高橋良から五〇万円以上、同じく三月二日欄の記載に基づき、同日シンガポールの陳から五、六十万円位の各入金があつた旨供述するが、手帳の各記載から各入金事実が直接に判明するわけではなく、被告人が捜査段階及び原審公判においてそのような供述を全然していないことなどからみて、被告人の当審公判における右供述は到底措信の限りではない。

右のように、被告人の収支に五二万円余もの収入不足が生ずることは、被告人の自白、すなわち、被告人が長尾の殺害後同人の貴重品入れにあつた一〇〇万円に手を付けたとする供述を裏付けるものといわなければならない。

3  二月二五日及び二六日の被告人の支出は、個人のものに限つても、不要不急と目されるものを含めて原判示のとおり合計八五万八二〇〇円に達しているにもかかわらず、右両日にこれに見合う正規の収入があつたことについて、被告人により合理的な説明がなされていないことが明らかである。

所論は、ケルンオートモーチブBMWサービス(以下「BMWサービス」という。)に対する支払いは、二月初めに部品の取付けを申し込み、送金直前にその取付けの契約ができたことに基づくものである旨主張する。しかし、歌田基久の司法警察員に対する供述調書二通によれば、被告人は、二月二六日BMWサービスにアメリカ製ターボの取付け代金として四五万円を支払つているところ、二月初めころBMWサービスに同ターボについて問い合わせの電話をかけたうえ、二、三日後に「同ターボを取り付けたい。」と申し入れたが、BMWサービスからは「代金四五万円を先払いで願いたい。」と言われていただけであつて、その支払いについて期限があつたわけではないから、所論にもかかわらず、被告人が二月二六日右代金を支払つたことは唐突の感を免れないものである。

所論は、被告人の原審第二二回公判における供述に基づき、二月二四日竹田昌暉から受け取つた一〇万円、同月二五日小山田佳穂から受け取つた三五万円の各売上金は、その後被告人が長尾に対する貸金の返済として同人から受領しているともいう。しかし、被告人の右供述によると、長尾に対する貸金というのは、一年半か二年位前に妻秋代が用立てた一〇〇万円のうち五〇万円位が残つていたものであるとされているが、秋代がそのような金員を用立てた形跡は認められないことなどに照らして、被告人の右公判供述は措信できず、所論は採用できない。

4  三月七日以降における被告人の支出の点について、所論はまず、外車BMWは既に一月の終わりころに発注済みであつたと主張する。松渕孝行の司法警察員に対する供述調書二通によれば、被告人は、チェッカーモータース株式会社に対して外車BMWの購入代金として三月七日一七三万円、同月一四日一〇〇万円合計二七三万円を支払つているところ、その経過は、被告人が一月終わりころ「BMW三二〇の赤色があるか。」と電話をかけ、希望のものがなく、二月終わりころ再度同様の電話をかけ、そのとき「黄色ならばある。」との返事をもらい、三月七日電話をしたうえ同会社におもむき、直ちに購入の話を取り決めたことが認められ、所論のように、注文が一月終わりころになされていたとは認められない。

所論はまた、四月一七日ころ及び二〇日ころの二回にわたり被告人がエリー・サファイに対して合計九〇〇万円を支払つていることについて、被告人としては、サファイから預かつた大理石レリーフが高額で他に売却できれば、右九〇〇万円はレリーフの購入代金にあて、売却できなければ、レリーフを返還し、九〇〇万円は昭和五六年一二月に長尾がサファイから購入した商品の代金支払いにあてるつもりでいたのであり、九〇〇万円の支払いは店を預かる者としてしたものであると主張し、被告人も原審第二二回及び第二三回各公判で同旨の供述をしている。しかし、被告人は、原審第一〇回公判では右のようには供述していないうえ、極めて高価なレリーフの売買取引に際し、サファイがそのような不確かな条件を受け入れていたとは思われず、被告人の右供述は措信し難く、かえつて、被告人のレリーフについての言動及び被告人の検察官に対する一二月二〇日付供述調書によれば、レリーフは被告人が自己のものとして購入し、九〇〇万円はその代金として支払つたものであると認められ、右支払いは、被告人が長尾の金員中から正当になしうるものであつたとはいえない。

その他、原判決が詳細に摘示するとおり、自動車部品購入代金七九万円余、バリ島旅行費用三五万円余、遊興飲食費一三四万円余、クラブホステスへの貸付金一〇〇万円、妻及び愛人らに対する仕送り、生活費、手当等約四九一万円など、明らかに不要といえるものを含む多額の支出が認められる。

5 以上のとおり、被告人は、二月二四日以前においては経済的に困つていたのに、二月二五日以降突然多額の金員を支払い始め、長尾が行方不明になつているのを知りながら、莫大な店の金員を勝手に費消したことが明らかであり、これらの事情は、被告人の捜査段階における自白を裏付けるものであるだけでなく、被告人が三月初めころから女性店員を雇い、その店員に自分のいた席を使わせ、自分は長尾がいた席に移つたこと、同業者、得意先、知人等に対する長尾の行方についての説明が不自然であつたこと、長尾の家出人捜索願を容易に提出せず、長尾の親族に対しては長尾が行方不明であることを全く連絡しなかつたこと、五月ころから七月ころにかけて長尾の仏具類や愛用品を売却等して処分したことなどの事情と相まつて、被告人が二月下旬ころ長尾を死に致した犯人であることについての有力な情況証拠となるということができ、これと同旨の原判決の判断は支持すべきものである。

五アリバイについて

所論は、原判決が被告人の二月二四日夜のアリバイを否定したのは誤りであると主張する。

なるほど、被告人は、原審及び当審各公判において、同日「無盡蔵」閉店後の午後七時三〇分ころから八時ころの間に、東京都豊島区南池袋一丁目翠ビル四階所在のミニクラブ「シャトレーヌ」に赴き、引き続いて同区南池袋一丁目二三番一号富士ビル五階所在のパブ「ファッションドラム」へ行き、いずれでもウイスキーをボトルで取つて飲んだ旨供述している。しかし、この供述は、それ自体として十分な信用性を備えているということができないうえ、これを裏付ける証拠が全くなく、かえつて、原判決の摘示するように、「シャトレーヌ」については、原審証人青山一美がその記憶により、同泉千穂子が主として伝票の記載により、「ファッションドラム」については、原審証人木村照俊がメンバーズカードの記載により、それぞれ被告人が同夜各店に現れたことを否定する趣旨の供述をしており、更には、被告人の犯行への関与をめぐる証拠関係の全体に照らして、被告人の右各公判供述は到底措信することができない。

なお、被告人は、当審公判において、自己の手帳(前同押号の一二)の一月二三日欄に「夜大丸指輪、19・・00ドラム5F」とあるのは、同日被告人が林の指輪を大丸で受け取り、その後午後七時ころ林と待ち合わせていた「ファッションドラム」に行つたことを示している旨供述し、弁護人は、当審弁論において、右供述によれば、木村がその証言中で、一、二月中には被告人が来店した形跡はないとしているのは誤りであることが明白となつた旨主張している。しかし、被告人の右供述の信用性に問題がないわけではなく、仮に右供述が信ずべきものであつたとしても、このことによつて、被告人が二月二四日にも同店に行つたことが裏付けられることになるわけではない。

したがつて、被告人のアリバイについての立証はないというべきである。

六以上、本件殺人の事実認定に関する所論について順次考察してきたが、本件は、殺人事件において最も重要かつ有力な客観的証拠である被害者の死体がいまだ発見されるに至つていないという特異な事案であり、所論にかんがみ原判決の認定、判断について慎重に検討を加えた。しかし、その結果、所論にもかかわらず、原判決の認定、判断は正当でありこれを支持すべきものであるとの結論に達した。その理由は原判決が極めて詳細に説示するとおりであるので重複を避けるが、その要点を示すと次のとおりである。

1 被告人は、別件による逮捕後五日目にして本件犯行を自白するに至つたが、その当時、犯行場所とされる「無盡蔵」の店舗はすでに貸主に返還されて引き払われ、天井、壁、床の張り替え等の改装がなされていたため、捜査官らにおいて、本件犯行当時同店内にあつた家具、キリム等をはじめ僅かに残されていたピータイルの破片等を収集して捜査した結果、すでに述べたように、被告人の自白する犯行地点とほぼ同位置を中心として、長尾の血液型と同じB型人血の飛沫痕や人血反応等が検出されるに至つたものであり、捜査官らが犯行場所を「無盡蔵」店内と考えていなかつたことは、同店の保存に意を払わず、改装工事をなすにまかせていたことからも明らかであつて、右血痕等の付着は捜査官らにいまだ発覚していなかつた事実であると認められ、それが被告人の自白にかかる犯行地点とほぼ同位置を中心としてみられるということは、極めて重要であり、いかに被告人に利益に解しても、被告人がこのようなB型人血の飛散を招来する事態に何らかのかかわりを持ち、その事実を知つていることを否定することができない。しかるに、このような人血の飛散が何に由来するかについては、場所が人の出入りのさほど多くなく、人血の飛散などの予想しえない古美術商の店舗内であり、被告人の自白を除外すれば、首肯するに足る原因は認められず、被告人によつても合理的に説明されていない。

2 長尾は、二月下旬忽然と姿を消して行方不明となり、今日に至るも発見されていないが、同人が突然姿を消すような動機、原因は認められず、その後同人を見かけたなどという所論指摘の目撃者らの証言が措信し難いことは前記のとおりである。

3 被告人は、長尾が行方不明となるのと符節を合わせるように、二月二五日から三月六日までに、収入に見合わない多額の支出をし、三月七日以降も長尾の預金口座から預金を払い戻したり、店の商品を売却したりして、その金を外車の購入費、遊興費、愛人に対する手当等にほしいままに濫費し、遂には長尾の居宅にある家具、調度品まで処分するなど、店主の帰りを待つ店員としては到底なしえない振舞いに及んでおり、このような振舞いは、長尾が再び姿を現わさないことを確信していなければ、なしえないことといわざるをえない。所論は、被告人の当時の経済状態について種々主張するが、その採りえないことは前示のとおりであつて、仮に所論が主張するような収入があつたとしても、それは被告人が三月七日及び一四日に支払つた自己の外車の購入代金にすら遠く及ばず、その濫費ぶりや振舞いは、所論がいうような「長尾が戻つて来るまで店をやりくりし、その中から自分の生活の糧をうるしかなかつた」者の行動と目することは到底できず、仮に所論の主張をすべて入れたとしても、それは長尾の帰りを待つ店員のなしうる限界を遥かに超えたものと認められる。

4 しかのみならず、被告人は、前記のとおりハイエースの車内で異常な方法で贋作作りをしているところ、被告人の自白するところによらなければ、そのような方法を用いた理由を合理的に説明することができず、被告人には、そのほかにも原判決が指摘する数々の不審、不自然とすべき言動がみられ、また、前示のとおり被告人のアリバイも認めることができない。

5 ところで、被告人の自白は、別件による逮捕後五日目になされたものであり、その取調べの経過、供述の状況等からみて、その任意性に疑念はなく、その内容も、多くの点で客観的事実に合致し、特に犯行地点犯行状況については、いまだ捜査官に発覚していなかつた血痕等の付着状況とも合致するものであり、前述の数々の不審とすべき点をも十分納得せしめるものであつて、その信用性は極めて高いものと認められ、これに対し、被告人の原審及び当審各公判における本件犯行を否定する供述は、不自然、不合理な点が多く、到底措信することができない。所論は、被告人の自白の任意性、信用性についても種々主張するが、その認めえないことは前記のとおりであつて、右自白の内容にかんがみると、いかに慎重に解しても、被告人が「無盡蔵」店内で長尾を殺害したという犯行状況の基本部分に関する自白については、その信用性に疑念をさしはさむ余地はないものといわざるをえない。

6 以上のとおりであつて、被告人の自白と「無盡蔵」店内の血痕付着その他の状況、長尾の行方不明の状況、被告人の不審、不自然な言動等の各情況証拠を総合すれば、原判示の事実は優にこれを認めることができ、原判決の認定は正当として支持すべきものである。

控訴趣意第二(訴訟手続の法令違反の主張)について

所論は、(一)捜査官らは、原判示第一の殺人事件の捜査の手段として軽微な横領事件を利用して、被告人を逮捕・勾留して取り調べているから、横領容疑による逮捕・勾留は別件逮捕・勾留として違憲、違法であり、横領容疑及びその後の殺人容疑による逮捕・勾留期間中に作成された殺人についての被告人の供述調書は、その証拠能力を否定すべきであるのに、原判決はそのような供述調書を有罪認定の証拠として採用している、(二)被告人については、捜査段階において、その自白を録音した録音テープ及び犯行等を実演した際の状況を録画したビデオテープがあるが、これらは、被告人が録音や録画を拒否できる自由のない状況のもとでなされたものであるうえ、それまでの信用性の認められない自白以上に出る内容のものではないから、任意性及び信用性を認めることができないのに、原判決は右の録音テープ及びビデオテープを有罪認定の証拠として採用しているので、原判決にはこれらの各点において判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反がある、というのである。

そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果を合わせて、所論の各点について順次検討を加える。

一別件逮捕・勾留に関する主張について

まず、被告人の身柄拘束の状況及び捜査の経過についてみると、関係証拠によれば、長尾については、昭和五七年四月一日被告人から警察庁池袋警察署に家出人捜索願が提出されていたところ、同警察署において、九月一日からの家出人捜索月間で長尾をその対象に採り上げ、同人の身辺を調べた結果、同人が殺害され、その容疑者が被告人ではないかとの疑惑を生じ、同月二五日警察庁捜査一課の応援を得て、捜査を開始したこと、同月二六、二七日の両日被告人からの事情聴取が行われ、被告人についての右疑惑は一応薄くなつたが、その事情聴取の際被告人が述べた金銭の収支について捜査したところ、横領(被告人が所在不明の長尾の事務管理をする者として、長尾自身の売却申込みにかかる仏画の売却代金一二〇〇万円を売却先の東京国立博物館から四月一〇日長尾の銀行預金口座に振り込ませて保管中、同月一二日、一三日及び一六日の三回に分けてその全部を払い戻したうえ、同月一七日及び二〇日の二回にわたりそのうち合計八九五万円を自己の購入したレリーフの代金として他に支払い横領しというもの)の嫌疑が生じ、被告人は、一二月四日、右横領の事実について発付された同日付逮捕状により逮捕され、引き続き一二月六日勾留され、同月一四日勾留期間を同月二五日まで延長されたこと、そして、捜査官らは、横領の事実について被告人を取り調べるとともに、その残余の時間、主に夜間、殺人の事実について被告人を取り調べ、同月八日同事実について被告人の自白を得て、被告人に上申書を作成させ、その後同月九日及び一〇日司法警察員が供述調書を作成し、同月二一日被告人の供述状況をテープ録音したこと、横領の件は、捜査の結果、有印私文書偽造、同行使、詐欺の罪(右三回の預金払い戻しの際における普通預金払戻請求書の作成、その提出、これによる預金払戻金合計一二〇〇万円の受領を罪とするもの、以下この事実を「詐欺等の事実」という。)を構成するものとして嫌疑が固まり、被告人は、同月二三日右詐欺等の事実について、「勾留中求令状」の記載を付した起訴状により公訴を提起され、同日、右起訴状記載の公訴事実により職権で勾留されるとともに、横領の事実による勾留については身柄を釈放されたが、その後も、殺人の事実について捜査は続行され、被告人の司法警察員に対する一二月二五日付、二六日付(二通)、二八日付、昭和五八年一月一四日付、一七日付(二通)の各供述調書が作成されたこと、殺人の事実についての被告人の自白は維持され続けていたが、死体が発見できないまま、その他の裏付け捜査が鋭意続行され、被告人は、同年二月七日に至つて、あらためて、殺人及び死体遺棄の各事実について発付された同月四日付逮捕状により逮捕され、引き続き同月九日勾留され、同月一七日勾留期間を同月二八日まで延長され、同月二八日殺人の事実についてのみ重ねて公訴を提起されたことなどが認められる。

確かに、捜査官らが横領の事実で被告人を逮捕した際、いささかであるにしても、被告人について殺人の嫌疑をも有していたことは、これを否定することができないが、横領の事実については、相当の嫌疑が認められるとともに、事実関係が複雑であつて、解明を要するところが少なくなく、その態様及び結果も軽微とはいえず、これにより被告人を逮捕・勾留する理由及び必要性は十分にあつたと認められ、その逮捕・勾留を違法とみることはできない。捜査官らは、右逮捕・勾留の期間中に殺人の事実についても被告人を取り調べているが、長尾が殺害されていたか否かは、横領の成否を直接左右する事実であつて、殺人と横領とは社会的事実として一連の密接な関連があるから、被告人を殺人の事実について取り調べることができないとすることはできず、また、その取調べがあつたことをもつて、捜査官らが証拠の揃つていない殺人の事実について被告人を取り調べる目的で、証拠の揃つている横領の事実の逮捕・勾留に名を借り、これを濫用してその身柄を拘束したものということもできない。

そして、横領の事実による勾留から切り替えられた詐欺等の事実による起訴後の勾留についても、その理由及び必要性が認められ、これを違法とすべき根拠は格別なく、また、その勾留期間中に殺人の事実について被告人の取調べをすることが許されないものとすべき理由も見当たらない。

更に、被告人については、横領の事実による逮捕・勾留後約二箇月余りのちにあらためて殺人等の事実により逮捕・勾留がなされているが、これは、捜査の進展に伴い証拠関係が整備されたことによるものと認められ、実質上同一事実による逮捕・勾留の蒸し返しであるとはいえないから、これを違法とすることもできない。

したがつて、被告人は、横領、詐欺等、殺人等の各事実により順次あるいは重ねて逮捕・勾留されているところ、その各身柄の拘束は適法であつて、これを違憲ないし違法ということはできず、その身柄拘束中に作成された被告人の供述調書の証拠能力を否定すべき理由はない。

(二) 録音テープ及びビデオテープに関する主張について

押取中の録音テープ二巻(前同押号の四四)によれば、同録音テープは、一二月二一日午後五時四八分ころから同七時一八分ころまでの約九〇分間、被告人の自白状況を録音したものであるが、被告人は、捜査官の短い質問をはさみながら、二月二四日朝から犯行に至るまでの経緯、犯行の状況、その動機、死体の始末、翌二五日以降の行動、死体の遺棄、現在の心境等について、終始、自ら進んで自分の言葉で、具体的かつ詳細に供述していることが明らかであり、その供述の任意性に疑問があることを感じさせるような事情は少しもうかがわれない。

被告人は、当審公判において、録音にあたつては、あらかじめ捜査官から「今まで調書になつていることをそのまま話してくれ。」と言われ、死体を捨てに行く経過について違つたことを話すと、初めからもう一度話し直しをさせられるなど、それまでの取調べにおいて覚え込まされたことを繰り返しただけであるなどと供述しているが、録音が行われたのは捜査の初期であつて、それ以前に作成された被告人の供述調書のうちで殺人に触れているのは、司法警察員に対する一二月九日付、同月一〇日付及び検察官に対する同月一九日付各供述調書の三通にとどまり、しかも、実質のあるものは一二月九日付分だけであること、被告人が話し直しをさせられた形跡は認められないこと、録音テープからうかがわれる被告人の供述状況等からすると、被告人の当審公判における右供述は到底信じ難い。

また、関係証拠によれば、押収中のビデオテープ一巻(前同押号の四三)は、昭和五八年二月二〇日午前一〇時一五分ころから同一一時二分ころまでの間池袋警察署四階講堂において、被告人が警察官を被害者に見立てるなどして、犯行、死体の梱包、現場の犯跡隠蔽等の状況を再現してみせたのを録画したものであるが、被告人は、多数の捜査官らの見守る中で、自ら積極的に、てきぱきと手際よく行動し、しかも、記憶の不確かな点についてはその旨を述べたり、従前の供述を訂正するなどしており、この被告人の犯行等の再現が捜査官の強制や圧迫のもとで行われたと疑う余地のないのはもとより、それが実際の経験に基づく記憶を体現したものであることをうかがわせるに十分である。

被告人は、当審公判において、録画の前日か前々日ころ取調室で、警察官をモデルに録画のための練習をさせられ、モデルを後ろ手に縛つたうえじゆうたんで巻くことまでしており、録画の際の犯行等の再現はそのような練習の結果にすぎないなどと供述している。しかし、被告人が録画の際に再現した行動の範囲は練習したとされる行為に限らず、犯行直前の状況から犯跡の隠蔽にまで及んでいること、被告人は、原審公判においては、「前もつてこういうふうにやれと言われた。」とか、「大分前に取調室で一度やらされた。縛つてみろと言われ、刑事を相手に縛つてみた。」という程度のことを供述していたにすぎないこと、被告人のした行動再現の状況、当審証人宮下正彦の供述等に照らして、被告人の当審公判における右供述は措信し難い。

結局、録音テープ及びビデオテープの任意性に問題とすべきところがあるとは思われない。

更に、録音テープ及びビデオテープの内容は、同時期に録取された被告人の捜査官に対する自白調書のそれとほぼ同旨であるところ、右自白調書の内容が信用性のあるものであることは前示のとおりであるから、録音テープ及びビデオテープについても同様であると考えられる。

以上のとおりであつて、録音テープ及びビデオテープはいずれも任意性、信用性に欠けるところがなく、犯行事実認定の用に供することができるものというべきである。

したがつて、原判決には所論のような訴訟手続の法令違反はなく、論旨はいずれも理由がない。

控訴趣意第三(有印私文書偽造・同行使・詐欺の各事実に関する事実誤認の主張)について

所論は、要するに、原判示第二の事実について、被告人が長尾の預金口座から合計一二〇〇万円の払い戻しをしたことはあるが、これは、行方不明の長尾が帰つて来るまでの間、店の経営を維持するため、日常同人の預金払い戻しを代行していた被告人が長尾の推定的承諾のもとにしたものであるから、被告人が長尾を殺害していたとして本件を有罪とした原判決は事実を誤認したものである、というのである。

しかしながら、既に述べたとおり、関係証拠によれば、被告人は二月二四日自ら長尾を殺害したものであると認められるから、被告人がその後の四月一二日、同月一三日及び同月一六日の三回にわたり、東京都民銀行池袋支店で実行した長尾の総合口座からの預金払い戻しのための各行為は、いずれも長尾の推定的承諾を問題とする余地のないものであることが明らかである。

したがつて、原判決には所論のような事実の誤認はなく、論旨は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、刑法二一条を適用して当審における未決勾留日数中七〇〇日を原判決の刑に算入し、当審における訴訟費用は、刑訴法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官小野幹雄 裁判官横田安弘 裁判官小圷眞史は、転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官小野幹雄)

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